みなさんこんにちは、マーです。
今回の断捨離は、「無いのが当たり前」について考えてみます。
当たり前にあるものは当たり前じゃなかった
水道約98%、電気約100%、ガス約100%(都市ガス約50%、LP(プロパンガス)約40% オール電化約10%)、インターネット約86%……。
この数字は何の数字でしょうか。
正解は、各インフラの利用率です。

水道も電気もガスも当たり前な感じがするけど……?
普段生活していると忘れがちですが、あらためて意識するととんでもない普及率です。
私達が暮らしている環境は当たり前に水道光熱が使えて、しかもネットまで使える。
そんな当たり前だからこそ、この環境に感謝を忘れがちです。
非常事態で知る「当たり前」の重さ
「当たり前」は大規模災害1つでいとも簡単に崩壊します。
そのたびに痛感させられるのが、『「当たり前」は当たり前でない』ということです。
大震災が起これば食糧や物資が手に入らず、インフラまわりはすべてストップ、トイレもネットも使えない、ということが突然起こります。

食糧もそうだけど、ガソリンや燃料なんかも秒で消えるよ!
しかも原発事故が発生すれば、周辺地域全体を忌避する風潮すら発生します。
それも原発の恩恵を受けている地域の人達が「ほとんど原発の恩恵がない地域の人達」に対して、です。
自分たちの生活エネルギーがどこで生産されているかを知っていたらそんな態度も取らなかっただろうに、……無知であることは本当に罪です。
これ、たかだか14年前に実際に日本国内で発生した現象ですからね。

被災した原発は関東地方が電力供給エリアだけど、所在地は関東地方じゃない。交付金や税収、雇用創出のメリットがあるのは原発立地市町村くらいなもの……。あれ?近隣自治体には……?
なってみないと人は痛感しないの……悲しいけれどこれ事実なのよね
健康と一緒で、そんな状況が発生しないと人間は痛感しないものです。
そしてそれが解消されてしばらくすれば忘れてしまう。これもまた人間です。
私は「灰都の北方」出身ですが、あの災害時に「なぜ?」を強く痛感したこともあって、いまだに『「当たり前」は当たり前でない』ことを強く意識しています。
これを読んでくれているあなたに対しては「世界や価値観が変わるのは本当に一瞬」だということ。これは強く言います。

「世界や価値観が変わるのは本当に一瞬」、そうかもね。
物がある当たり前を疑う
非常時であれば、好きな時に食糧や物資を買いに行けません。
そんな時に必要になる防災品は日ごろから常備するしかないし、定期的にチェックする必要があります。

ミニマルに生きていても、最低限の備えは必要ね。
防災品はそれでいいのですが、それ以外の日常品や嗜好品は話が変わります。
とはいえ多少のストックは必要ですが、際限なく大量にストックするのはやりすぎです。
また嗜好品も欲望のままに買えばあなたのお金や健康を損ね、大量にあれば使用期限などの毀損リスクや震災による倒壊リスクもあります。
買った後でも心のどこかで本当に欲しかったのか、いったん立ち止まって振り返ってみましょう。
インフラがある当たり前も疑う
蛇口をひねれば水が出て、スイッチをいれれば電気やガスも使える。
ネットにつながるからこのブログも読んでもらえているんだし、駅に行けば定時で列車に乗ることも可能です。
これらは私たちが当たり前に享受していますが、後進国であれば願ってもかなわないことだらけです。
だからこそムダに浪費せず、また感謝の気持ちを忘れずにいたいものです。

当たり前すぎるこの生活環境にあらためて感謝しないとね。
動ける自由がある当たり前も疑う
数年前に大流行したコロナウイルス。
ウイルスはたくさんの死傷者を出し、一時は都道府県境をまたぐ移動自体にも制限がかかりました。
それは生活様式を大きく変化させ、私たちの意識に強烈なインパクトをもたらしただけでなく、ただただ国の失策を見せつけた大混乱となりました。
なんなら価値観すべてを疑う
よく思うのは「明日死ぬとわかっていても、その行動をしたいか」ということです。
- 明日死ぬとわかっていても、その仕事をやり続けたいですか?
- 明日死ぬとわかっていても、やり切れていないことがあったら後悔しませんか?
- 明日死ぬとわかっていても、その行動で今日という貴重な日を浪費していませんか?

そこまで深く考えていないよ~
繰り返しですが、「当たり前」だと思っていた明日が「当たり前」でなくなることは十分にありえることです。
ふだん当たり前に過ごしている日常だからこそ、その「当たり前」を失ったときの衝撃は相当なものです。
そう考えると「当たり前」に感謝しないといけないし、「当たり前が永続的であること」をもっと疑わなきゃいけないと思います。
あえて爆誕直後を想像してみる
おそらく読んでくれている皆さんは社会人の方が大半だと思います。
お金も肩書もそれなりにあると思いますが、いったん誕生直後のまっさらな状態になったと仮定して考えてみてほしいのです。

まっさらな状態……?
衣服は着ていない。
道具もない。
お金もない。
肩書もない。
本当になんにもない。
そんな視点で何物でもない自分と向き合ってみると、本当に自分に必要な存在は何かを考えられます。
あなたに必要な存在って?
模範解答などないのでどんな考えでも正解ですが、私だったら家族と資産が必要な存在です。
道具はやたら多くなくていいし、肩書があったところでその瞬間、美味しいご飯が食べられるわけでもない。
きれいな衣装や貴金属、そして常識もいらないかもしれません。
働けばお金は増えるだろうけど、いつまでも働けるとも限らない。
そうやって考えれば、常識と信じて疑わなかった「当たり前」と決別できます。
あなたにとって必要な存在は何でしょうか?

私にとって本当に必要なもの……?ちょっと真剣に見つめなおしてみようかな。
今あるものを減らしていく不安と勇気
必要なもの以外は何もかもが無駄だとすべて切り捨ててしまうのも違うと思います。
きっとそんな無駄がなければ死ぬまで体験しなかったであろう経験などは、お金で買えない貴重な体験です。
そう考えると「すべてを捨てましょう」とは言いません。
私もそうですが、水道ガス光熱やらネット環境を手放すのは無理だし、心の糧になるような出費を本当は減らしたくありません。
かといって、そういってすべてを拒んでいたら何も変わりません。
何か一つだけでも辞めてみたら。
何か一つだけでも負担の少ないものに置き換えてみたら。
試しに変えてみて、支障がないことを知っておきましょう。
それで大きく失敗することもあるでしょう。
ここで大事なのは、それは自分に合わないということを知った経験です。
言葉で知っているだけのことと、実際に自分で経験したことには雲泥の差があります。
そんな経験こそがあなたにとって貴重な知見となり、次に生きるのです。

何か一つだけでも辞めたり置き換えてみると、新しい考えを発見できるってことね。
失敗してもいいんです。
だって、もともと「無いのが当たり前」なのですから。
次回は多すぎる体内負債を減らすことについて考えてみたいと思います。
今回もお付き合いいただき、ありがとうございました。

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