支出を削減する(断捨離編)~お金について考える

みなさんこんにちは、マーです。

支出を削減するには固定費削減がセオリーですが、もう一つやったほうがいいことがあります。それは断捨離です。

断捨離とはヨガの行法(ぎょうほう)である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)から発生した思想です。つまり、手に入りそうな不要なものを「断」ち、身の回りにある不要なものを「捨」て、そしてそうしたものやことなどとらわれてしまう執着から「離」れることを指します。近年では作家のやましたひでこさんが広く提唱して話題になりました。具体的なやり方は関連する書籍や動画が多く発表されているので、まずはそちらに譲ります。

多くは断捨離の手法にこだわった情報が多く、なかには単なるお片付けとして捉えるする人もいるかもしれません。ですがこれは表面的な捉え方と感じます。私の解釈では、自分とかかわるすべてに一つ一つ大事かどうかをしっかりと問い続けること、が断捨離なのだととらえています。ここでのすべてとは物質的なものだけでなく日々行っている活動、人間関係、ひいては思想までも含む壮大な概念を指しています。

そのアイテムは見栄や衝動で買っていませんかとか、在庫量がわからないから似たようなものを重複して買っていませんでしたかとか、そうした考えで買うのをやめるという視点に気づくことはもちろん大事です。しかしそれだけでなく、なんとなく付き合いで飲み会や残業をしてしまっているとか、まったく生産的な話もないのに腐れ縁で付き合ってしまっているとか、時代の変化も考えずかくあるべき論にとらわれていないか、とかそうしたすべてのことを一つ一つ執着していないかを問い続けることです。そうした結果、今の自分にそぐわなくなってきたと感じたものが物質的なものであれば不要だから捨てましょうでいいのですが、活動や人間関係、思想については私も含め、断捨離するのは難しい側面があります。その理由は、物については要不要がわかるのに、考え方の要不要はわからないからです。それは「その考えでずっとやってきたから、それが常識だと思い込んでいる」ことが原因です。

例えば「したくもないのになぜ残業するのか」に対して、会社が社内のキャパシティ以上に仕事量を持っているのに人材不足だから、労働者がそれが美徳だと思っているから、あるいは経営層が残業時間の多寡も判断に入れるべき、などと勝手に「常識」にとらわれて、だから社内から残業がなくならないということはあるかと思います。

考えてみてほしいのです。その常識は永久不滅のものなのでしょうか?

残業が嫌なら働き方を変えるか転職したほうが手っ取り早いですし、惰性で行っている活動や人間関係はやはりどこかでメスを入れなければなりません。そうして自分と関わりある物事すべてから環境を一新しないと思想もまた変わりません。そういうと変えない理由で反論する人もいますが、だったらその変えないことを自分で選択するのだから、そのまま突き進んでください。時代や地域が変わればやり方や考え方が変わるのが普通なのであって、「常識」を振りかざして変えられないのであれば、その物や行動、人間関係、あるいは思想といっしょに沈んでいくしかありません。

そこまでして断捨離を重ねていくと、いろいろな気づきが得られます。お金を遣うことを減らす前にそもそもお金を遣う必要があるのかを常に考えるようになるとか、視覚や嗅覚、あるいは聴覚が誘惑となってたいして必要でもない出費を正当化させてしまうとか、そうした考えに気づくことができます。

これは小手先の断捨離手法を知っているだけだと到達しない考えです。手に触れてときめかなければ捨てればいいとか、みんながそうしているから自分もそうするとか、そうした考えを一歩進めてみてもいいと思うのです。

とはいえ、今日からいきなり非常識にふるまえ、というのも違う話です。まずは断捨離の3つある考え方と具体的な対策をそれぞれ考えてみたいと思います。

今回もお付き合いいただきありがとうございました。

マー
マー

自分とかかわるすべてに、一つ一つ大事かどうかをしっかりと問い続けよう!

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