常識を考察する~お金について考える

みなさんこんにちは、マーです。

今回は常識を考察してみたいと思います。

常識という言葉は一般的に正しいとされている考えや行動、知識、理解力、判断力、また思慮分別などを指します。この常識をたくさん知って行動できると社会生活では恥をかいたり大きなミスもなく過ごせるでしょう。しかし常識を信じるあまり、その常識に縛られて新しい行動が起こせなくなる危険性もはらんでいます。

例えば昭和時代に社会人になった世代であれば、「良い会社に入れば定年まで安泰で、銀行預金にお金をため続ければ死ぬまでお金で苦労することは少ない」と認識している人が多いです。ですが現在では大手企業であっても倒産するし、預金金利はメガバンクでも普通預金金利0.100%、定期預金金利0.125%~0.350%(みずほ銀行、2024年10月15日時点)と預けるにはまったく心許ない金利しかつきません。以前書いた「r>g」の話のように、積極的に投資していかなければお金がどんどんなくなっていく時代です。

当時常識とされていたことでもわずか20~30年、モノによっては10年程度で非常識となります。しかし悲しいことに自分ではその常識の転換に気づかないことも多いです。これは定年が見えている60代や50代後半に限らず、もっと若い世代であってもそのことを意識しておいたほうがいいです。常識なんてものは時代や環境で変わってくるし、だからこそ過去のやり方を押し付けるのが正義でもなく、もし自身に間違いがあれば素直に認めたほうがいいです。

自身のやり方を一方的に押し付けても場の空気を硬直させるだけです。そして相手は従うでしょうが立場上従うのみで、本心ではもう話など聞くものかと頑なになってしまい何もいいことがありません。

そう考えると常識は常に変わるもので、相手に押し付けるものではないのです。

そしてその常識論を振りかざされた側としたらどう対応するのがいいのでしょう。私は、あくまでも参考意見にとどめて、試しに従ってみて肌に合わないなら辞めるのがいいと思います。つまり、常識論で論破してくる人のいうことをすべて聞かなくていいという考え方です。

その常識論は親切心からきているかもしれませんが、それは大きな弱点をはらんでいるのです。常識論をまともに聞いてしまうと、その常識論が正しいかの自己検証をせずに鵜呑みにしてしまうリスクと、結局その人のコピーにしかならないというリスクです。

他人と同じことをやったとして、あなたはお金を増やすことができるでしょうか。

同じ金額を得るまでに、良くてせいぜい同じ時間と労力を費やすのみでしょう。でもそれではあなたが生き延びるに足りる金額でしょうか。常識論を振りかざしてきたのが大富豪ならともかく、富豪でも何でもないただの勤め人だったり引退者であるのならその人のコピーにしかなりません。それは申し訳ないけれどまともに受け止めなくてよい常識論です。

だからこそみずから学びましょう。その中でいろにろな考え方に触れていろいろ実践することで、あなたなりの考え方が醸成されていきます。その考え方を常にアップデートしながら実践していけばよいのであって、それを環境の異なる別の人に押し付けることはしなくてよいのです。

もはや勤め人だからといって安泰ではないし、金融機関にゆだねればOKという時代でもありません。少なくとも令和時代の日本では、自ら学び、自ら動き、国内外に対して積極的に投資していかなければ立ちいかなくなる可能性が高いのです。

次回は転職について考えてみたいと思います。

今回もお付き合いいただきありがとうございました。

マー
マー

常識を一度疑おう。

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